薩たトンネルから出てきた、下り蒸気機関車。
薩た峠越えの道は3ルートあった。江戸時代以前は潮が引いたときに波打ち際を駆け抜けるしか方法がなかったが、明暦元年(1655)に朝鮮通信使のために崖に道を切り開き、これを「中道」とした。その後新たに山中に道をつくり、「上道」とした。ところが、幕末の安政の大地震が起きて崖周辺の海岸線が隆起したため(ここに見える海岸部分)、人々はここを通るようになった。
現在では中腹を東名高速道路が貫き、また、国道1号バイパスの高架が走り、景観は一変した。