三保貝島に明治43年から昭和初期まであった蒼瓦・白壁の楼閣。日蓮宗の田中智学が建てた。 絵葉書のごとく、ここからの眺めが豊かで素晴らしいだけでなく、最勝閣それ自体が、羽衣橋のかなたに浮かぶ竜宮城のようであったという。 ここを訪れた北原白秋も秀麗な景色に感激し、長歌に詠じている。 「最勝閣に詣でて詠める長歌並に反歌」 (北原白秋) 風早の三保の浦廻 貝島のこの高殿は 天そそる不二をふりさけ 清見潟みち干の潮に 朝日さし夕日照り添ふ この殿に詣でて見れば あなかしこ小松むら生ひ 辺につ寄る玉 藻いろくづ たまたまは棹さす小舟 海苔粗朶の間に隠らふ この殿や国の鎮めと 御仏の法の護りと言よさし築かしし殿 星月夜夜空の隈も 御庇のいや高々に 鐸の音のいやさやさやに いなのめの光近しと 横雲のさわたる雲を ほのぼのと聳え鎮もる 閑けくも畏き相 畏くも安けき此の土 この殿の 高き薨のあやにすがしも 反歌 この殿はうべもかしこししろたへの不二の高嶺をゆたかにぞ見る |