明治末の富士市吉原の西横町。この道は東海道である。右手電柱近くの角は、現在、つけナポリタンで有名な喫茶アドニスさんの場所にあたる。
 人力車には子供が二人。既に電気が通じており、各店先には電灯。吉原町に電気が通じたのが明治41年である。左手は鍋宗呉服店。その隣は醤油屋。大正初年には、鍋宗呉服店は瓦葺に変わる。以上より明治末の撮影。祝日だろうか、国旗が掲げられている。奥の森は、現在、吉原公園となっているところで、当時は日吉浅間神社があった。突き当たりの店(車夫の笠の上)は、内藤金物店で、いまなお同所にて営業なさっている。時間は影の方向から、お昼ごろ。店店の前には、写真撮影が珍しかったのだろう、人々が出てきている。
右は現在の同地。建物は変わったものの、間口三間の区割は残っている。

以下の写真は、同手で1906年(明治39年)の消印のあるもの (黄色の円部分は、消印部分を拡大後180度回転したもの)。



 次の写真は、やや南から撮ったもの。馬車や荷車が写っており、電線や家並みのようすからほぼ同時期の撮影と思われる。


下の写真は現在の同地。建物は変わったものの、間口三間の区割は残っている。



現在の西横町のようす。(平成15年10月19日撮影)