2葉とも藤田某宅がなく、また、橋の欄干の親柱の形状が前項のものより古そうだ。明治末の風俗が面白い。
次の荷揚げ作業のものは、前2葉より後のもので、右端の木の部分に倉庫らしきものが建っている。


以下に、手持ちの葉書から河合橋の変遷を並べました。

河合橋の変遷

欄干が格子状。
1880年ごろ。
(日下部金兵衛撮影)
欄干が格子状。
橋脚に支え。
川向こうに小屋。

欄干が平行。
川向こうに小屋無し。

ここまでは道路に線路が
見えないので、明治23年
以前の撮影と思われる。

欄干が平行。
川向こうに小屋。


道路右手に線路らしきものが
見える。

欄干が平行。
橋脚に支え。
川向こうの小屋に仁丹の看板。
欄干が平行。
橋脚に支え。
川向こう左右に瓦葺の家。
上空に電線3本。
線路は既に撤去されているよう
である。




確認できる、最後の「河合橋」の絵葉書。パンアメリカン航空の発行で、1963年の消印がある。
右手の白い橋が、現在でも架かっている橋。正面の建物は木下製紙という。