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出典 | Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, Performed in the Years of 1852, 1852, and 1854, Under the Command of Commodore M. C. Perry |
出版 | Sarony & Co. New York |
画題 | DELIVERING OF THE AMERICAN PRESENTS AT YOKUHAMA. (横浜でのアメリカ贈答品の引渡し) |
画工 | W. T. P |
画寸 | 150 x 223mm / 石版画 |
所蔵 | Ichikawa, hiroyasu |
日本人は、電信と汽車を見て驚き、かつ、雀躍として喜んだ。ある真面目くさった役人は、歯をむき出しにして笑いながら、小さい機関車にまたがって乗ったという。この機関車は現存しないが、ペリー提督から徳川幕府に献上された「エンボッシング・モールス電信機」は現存し、重要文化財になっている。右手奥の富士山が見え、その左あたりから電線が張られている。 画面右下にみえる背の低い小男はだれだろう。月代を剃り、羽織を着ているので、元服後であり、水夫と話している右側の武士との位置関係から、通詞のように見える。日本遠征記の図版に描かれた通詞で、このように背がかなり低く描かれているのは「第三通詞名村」図中にみられ、立石斧次郎と思われる。なお、和親条約の交渉中のことだが、農業専門家としてこの日本遠征に参加したモロウ博士が利発そうな少年に「アメリカに行きたいか」と尋ねると、即座にうなずき、その父親の侍もこの提案に喜んだという話も残されている。この少年こそ、のちに遣米使節団として通商条約批准のため渡米し、「トミー」として当地で人気を博した立石斧次郎ではなかろうか。 |