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出典 | Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, Performed in the Years of 1852, 1852, and 1854, Under the Command of Commodore M. C. Perry |
出版 | SARONY & Co. New York |
画題 | VIEW FROM WEBSTER ISLAND YEDO BAY (江戸湾ウェブスター島(=夏島)からの眺め) |
画工 | W. Heine |
画寸 | 151 x 224mm / 石版画 |
所蔵 | Ichikawa, hiroyasu |
「提督自身出発に先立つ二日間、提督は『アメリカ碇泊所』附近の島にして自らウェブスター島と名づけた島、及び附近の海岸を調査する機会を得た。今やあらゆる森を覆い、豊饒な田園を覆い、耕作した田園を覆っている絵のように美しい豊かな緑色につつまれている田園の美しさは、尽きることのない心地よき眺めで、江戸湾上手の恍惚たる海岸を離れる日が近づいた時には、少なからず心残りがした。今ではアメリカ碇泊所附近の風光は、艦上の者全部にとって、甚だ親しいものとなっており、長い碇泊からの連想と、同地固有の美しさから来る連想と、二重の感興を覚えるのであった。ウェブスター島は、緑色に繁茂した極めて密生した杜に覆われていて、或いは丘や谷間があり、或いは荒涼たる山の頂や耕作した斜面のある美しい島である。」(岩波文庫/「ペルリ提督日本遠征記」) 平潟湾の入口をふさいだ砂州の沖合は、水深の深い入江となっており、ウェブスター島、つまり夏島からの平潟湾の眺めがこの図版である。翌 3月21日未明、ペリーを乗せた旗艦・ポーハタン号は出航し、伊豆下田に向かう。 夏島は、その後、伊藤博文が明治憲法の草案を起草した場所ともなったが、1918年、追浜飛行場建設工事により陸続きとなった。 |