はじめに


 幕末期の日本の姿を紹介した西洋の石版画の収集をはじめるきっかけとなったのは、「幕末期の日本人のイキイキとした表情を、写実的に描いた絵を見てみたい」という欲求からだった。
 錦絵は美しいが、写実性に欠ける。また、古写真もあるが、当時、長時間露出を必要としたため「静止画」とならざるをえない。走っている飛脚ではなく、数分間のポーズをとり続けている飛脚の姿なのである。そんなとき、ふと目にしたのが、幕末期に来日した外交官たちの報告書中の優れた石版画にみられる、躍動する幕末の人々の姿であり、活気にあふれる街並であった。

 ウェブ上では、コレクションの中から、稀覯書となっているエメ・アンベールの 『幕末日本図絵(Le Japon illustre)』の銅版画を中心として、さらに、ペリー提督『日本遠征記(Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, Performed in the Years of 1852, 1852, and 1854, Under the Command of Commodore M. C. Perry, United States Navy)』の石版画等を加え、@日本の風俗A子供の情景B富士のある光景の3テーマに絞り、計二十点余り紹介する。
 
 エメ・アンベールは、1863年、スイス外交使節団として修好通商条約の締結を目的に来日。約10カ月間の滞在中に集めた資料をもとに、帰国後の1870年、パリ・アシェット社より“Le Japon Illustre”上下二巻を出版する。日本の自然や歴史、政治制度、建造物、宗教、風俗や習慣等が約230点(版により異なる)紹介されているが、これらは美術的に優れたものが多く、アンベールの深い観察力・異文化理解、美的センスのすべてが結実したものとなっている。

 米国東インド艦隊司令長官マシュ−・カルブレイス・ペリーは、琉球、浦賀と回り、久里浜に最初の上陸した後、横浜にて日米和親条約を締結。そののち開港された下田や函館を歩き回り、幕末の風俗や文化と接触する。それらを上掲書中の多数の石版画に表した。描画は、国費で出版した報告書のため、いくぶん硬いものの、深い洞察力、博物学とでもいうべき広範な学術的価値への理解が感じられる。


 なお今回の公開にあたり、ペリーの『日本遠征記』では"不健全なるもの''としてその多くが削除・破棄されてしまった結果、今や最も珍奇とされるに至っている「下田の公衆浴場の図」も掲載することができた。これは異文化理解の難しさを述べるに不可欠である。

 開国150年を経た今、幕末の日本人に触れた外交官たちの「視線」はとても新鮮であり、現代日本人が忘れてしまった「日本人のこころ」の原点を想起させるに、含蓄深いものとなっている。

 末文となったが、このホームページ中の記事を作成するに当たり、さまざまな方々のお世話になった。
 「拳闘士のサーカス」では、江戸時代の相撲の形式についての知識を相撲評論家の坪田敦緒氏から、「外国人居留地建設」では、江戸時代の大工道具に関する知識を観音寺の香川量平氏から、「長崎・興福寺参道のお正月」についての場所の同定およびベニト写真との関連のご指摘を東明山興福寺松尾法道師から、ペリー版画の「母子」では、幕末の和装について
尾上菊五郎劇団や11代目市川團十郎、市川猿之助などの着付を担当されていた松本實氏から、それぞれ御助言を賜ることができた。これらの中には、従来の研究書にはみられない新知見も含まれていることと思う。ここに厚く御礼申し上げます。なお、記述文中の誤謬錯誤不足等については、すべて作者の責にあります。


*版画は、アンベール前掲書より『日本のピックニック』の部分拡大

ICHIKAWA, hiroyasu 2005