出典 | "Le Japon illustre" Aime Humbert, 1870 |
出版 | Hachette in Paris |
画題 | BAGIROGIO-BABA, PLACE DE MANEGE, A YEDO |
画工 | Crepon |
画寸 | 159 x 237mm / 銅版画 |
所蔵 | Ichikawa, hiroyasu |
馬喰町馬場のようす。博労 (馬の仲買人)の頭、高木源兵衛や富田半七などが住んでいたところから当初は博労町、のちに馬喰町となった。明暦の大火
(1657年) 後、浅草御門に関東郡代の屋敷が置かれると、地方からの公事師 (訴訟代理人) のための旅籠屋が増え、また問屋街であった横山町に隣接していたことから、各地から訪れる商人たちも増え、江戸一番の旅館街として活況を呈していた。火の見櫓は約9メートルあったという。 現在も江戸通りをはさんで商社ビルや銀行などが建ち並ぶ一大商業地となっている。 下は、元となったと思われる「江戸名所図会」中の馬喰町馬場。通詞が間違えたのか、競馬場となってしまっているのがわかる。 |
「馬喰町馬場」(「江戸名所図会」より)