出典 | "Le Japon illustre" Aime Humbert, 1870 |
出版 | Hachette in Paris |
画題 | MAGASIN DE BRONZES A YEDO (江戸の金物屋) |
画工 | L Crepon |
画寸 | 119 x 158mm / 銅版画 |
所蔵 | Ichikawa, hiroyasu |
「商人街の店に見本として並べられた工業製品が、どのように多種多様であろうとも、一貫した特性を示している点がある。私は、その特性を、たとえ専門家側の抗議があろうとも恐れることなく、上品な風格にある、と断定する。 江戸の製作者は、完全に技術家である。今日まで、彼らが人物を描く際に、必須なものであると考えている条件的な様式と遠景描写の不完全な知識を除けば、他の部分はほとんど非のうちどころがなく、ただ絶賛するだけである。その作品は、京都の作品に比べて、形式の簡潔さ、線の厳正さ、装飾の適切さ、自然に対する繊細な理解力において、特に目立っている。彼らが好んで取り上げる題材の花や鳥は、特に生き生きと描かれていて、その美しさと迫真力と調和には、心から感嘆するほかはない。また、仕上げの完璧な点については、江戸の作品も、京都の作品も、共に卓絶した段階にある。」 「(日本では)若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。労働それ自体が最も純粋で激しい情熱をかきててる楽しみとなっていた。そこで、職人は自分の作るものに情熱を傾けた。彼らには、その仕事にどれくらいの日数を要したかは問題ではない。彼らがその作品に商品価値を与えたときではなく、かなり満足できる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるのである。」(講談社学術文庫/エメェ・アンベール「絵で見る幕末日本」) 次に、原図となったと思われる版画を掲載する。 単に、写実的に書き換えただけと見るのではなく、上述の内容を具現化しているとみるべきである。すなわち、捨象された部分に着目すれば、原図の単なる雑多な往来から、働く者の美しさと上品な工業製品とに焦点を与えたものになっていることに気づくだろう。当時、印象派たちが浮世絵の構図、色彩、線描画を学ぶべく習作したのに比べ、なんと、現代に通じる近代的な視線でとらえられていることか。 |
基となったと思われる「大門通り」(「江戸名所図会」より)