日本の風俗 01


出典 "Le Japon illustre" Aime Humbert, 1870
出版 Hachette in Paris
画題 CIRQUE DE LUTTEURS. (拳闘士のサーカス)
画工 L.Crepon
画寸 121 x 158mm / 銅版画
所蔵 Ichikawa, hiroyasu

 「…最大限に着飾った小柄な監督(行司)が現れ、四方に丁寧なお辞儀をして、土俵正面に陣取り、試合に登場する力士の名前とタイトルを、明瞭なそして調子をとった口調で披露する。再び太鼓の音が響いて、力士たち一同の入場を予告する。やがて、力士たちが、一人また一人と相次いで、両手を下ろし、頭を上げ、悠然と、観客のいる土間の方へ降りてくる。この壮大な行列に、驚嘆の囁きが起こる。
 <中略>効果的な入場が終わると、力士たちは、二つの陣営に分かれて、土俵の左右に腰を下ろす。土俵は、一アルシン(約七十一センチメートル)ほどの高さに盛り上げた小さな円形の台地になっていて、周囲を二列になった藁俵で囲んであり、その上を覆っている屋根は、飾りのついた四本の柱で支えられている。土俵以外の場内は、すべて青天井である。四本柱のひとつに、魔除け(御幣)がかけられており、継ぎの柱には、塩を入れた紙袋が下げられ、第三の柱には、名誉ある刀剣が飾られ、第四の柱の根元には、柄杓の浮いている水桶が置かれている。
 試合の始まる前に、四人の検査役が入場し、それぞれ柱の近くに席を取る。土俵に立ったままの監督(行司)は、長い絹の紐のついた号令用の団扇を握り、土俵に登る諒力士の名前を呼び上げる。
 <中略>この角力の勝負は、私の見たところでは、俵で描かれた丸い線の外に、相手を突き出したり、押し出したりすることで、この線から踏み出しただけで、その力士は負けたことになる。
 <中略>私は、日本の力士が土俵の上に倒されるのを一度も見なかった。息詰まるような格闘や荒業は極めて稀にしか起こらず、自分と同じような巨漢である相手を足許にたたきつけたり、高々と吊り上げたりすることは、ほとんど見られない。それに格闘の中で少しでも危険な兆候が現れると、小柄な行司が、それを防止するため、すぐさま試合に干渉を行うのであった。もっとも、彼は、攻勢に出た力士が、相手の足をとらえ、敵をして一本足でよろめかす程度のことは黙認していた。勝ち名乗りを受けたものは、いつも人々から気前よい賞与を受けた。」(講談社学術文庫/エメェ・アンベール「絵で見る幕末日本」)。


 膨張する筋肉。力士の熱戦を食い入るように見つめる親方と同輩力士たち。会場は大歓声の渦で満たされ、空へと抜けていく。「ドドンガドン…」と、まるで遠雷のように上空から降ってくる音は、呼び込みの櫓太鼓だ。
 外人にとって、大男の機敏な動きが信じられなかったのだろう、「拳闘士のサーカス」としているのは、彼ら一流のウイットとユーモアからか。


<解説>
 中央の高い小部屋には、年寄筆頭・筆脇・勧進元らが座った。その直下は通常、木戸口のはずだが、客席として描かれていて、ふつう目にする錦絵とは異なっている。柱のたもとの親方は「中改め」といい、今でいう審判委員。前方右側の柱に下がっているのは恐らく力紙(塩籠を柱につるしていたのは昭和の10数年間だけ)。
 いっぽう、柱が俵の内側というのはおかしいし、しかも、ついているはずの弓もない。
 以上より、実際に見聞したものの、その場ではスケッチせず、帰ってきてから記憶を頼りに絵を起こしたものであろうと推測される。