水面には「逆さ富士」が映っており、左手には貨物船が数艘、碇泊しているが、伊豆方面からの新鮮な魚類を運ぶ伊豆船や、遠州相良から石灰岩を運んできた遠州船が吉原湊に出入りした。当時、入山瀬にあった富士製紙で漂白に石灰を多く使った。また正面奥には石水門が見えるが、これは沼川の逆潮を防ぐため、明治18年に築かれたもので、「六ッ眼鏡」という愛称で親しまれた。しかし、昭和42年、田子浦港築港の折、惜しまれつつ取り壊された。