関東大震災時の大正12年10月に発行された切手が貼ってあるので、大正13年の正月のはがきであり、震災で大正天皇が沼津御用邸へ一時的に疎開された折、沼津儀仗衛兵が出したもの。 注目すべきは後半の文面で、夕食時に軍歌を歌ってご覧に入れたり、大正天皇の運動時間に色々ご遊戯やってご覧に入れるとか、御前で喇叭(ラッパ)を演奏するの光栄に浴したなどと書かれている。またウラ面(御成橋の写真のほう)には、毎日の陛下の散歩時間が記されており、史料的な価値もあると思われる。 ちょうど、この一月には摂政宮(のちの昭和天皇)がハネムーンで沼津御用邸を訪れられている。それが次の写真である。 「沼津行啓両殿下の鹵簿(大正十三年一月二十七日)」とある。 「鹵簿」とは「ろぼ」と読み、儀仗警衛の隊伍を整えた皇后以下の皇族の行幸の列のこと。 大正13年1月26日、摂政宮裕仁と久邇宮良子の結婚式が宮中で挙行された。その翌日に沼津御用邸を訪れられた際の報道絵葉書。奉迎門が建てられ、賑々しい隊伍の騎乗の列が続く。 |