長さ132尺,高さ21尺,幅21尺の石水門は明治19年5月23日竣工。県下で最も早くセメントが使われた工事だった。基礎工事には特に念をいれ、松材数百本を打ち込み、さらに臼も三つ、基礎に埋めたという。臼の様に盤石なれと祈ってのことであったという。その後「六ツ眼鏡」と呼ばれ、永く地元民に親しまれ、80年間にわたって遡潮の被害から2000町歩の農地を守ってきたが、昭和42年、田子の浦港築成のために惜しまれつつ撤去された。
 オモテ面の仕切り線が1/3なので、大正7年以前の撮影。