富士川の通舟で山梨方面から運んできた米を、これから馬車に載せ、清水湊まで運ぼうとしているところ。通舟、馬車、米俵、秀麗な富士と、4拍子揃っている。右から二人目の船頭のわらじに注目。鼻緒がずいぶん短いことにお気づきだと思うが、これは「足なかわらじ」といい、かかとの部分がなかった。すべり防止のためである。馬子の帽子がシャレており、運送会社社員に支給されたものではあるまいか。これなら遠目にも自社の社員か判別できよう。
 明治22年、岩淵駅(現,JR富士川駅)に通じる運河が造られた後は、富士川貨物は、直接、岩淵駅に運ばれることになったので、撮影時期は明治中期の可能性がある。