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 富士山麓に暮らす私たちは、秀麗な富士の懐に抱かれた景観の点景として生きています。東海の富士には、富士とともに生きる人々を包み込む暖かさがあります。陽光に照らされて美しいスロープをひく姿は実に女性的であり、繊細な白糸の滝、三保や千本松原の白砂青松の景とよく似合います。また重畳と連なる山並みのかなたに見せる優美な姿もよいもので、古来より優れた借景としても取り入れられてきました。

 古絵葉書の世界には、ひっそりとした田子の浦に映る逆さ富士の景色や、松林をすかしてみる清見潟が金糸銀糸にさざめき、そのかなたに夕陽に映える富士のある景色など、今日みられない、さまざまな富士の美しい表情がみられます。これら景観が、富士のふところに抱かれつつ生きてきた人々に影響を与え続けてきただろうことは、想像に難くありません。

 左の絵葉書は、明治40年ごろの大宮(現在の富士宮)を写したものですが、豊かで清らかな川の流れ、美しい村、そして雄大な富士がやさしく優しく包み込む中を、村の子供らが遊んでいます。
 富士山に抱かれた山麓の人々の暮らしの原風景がここにあります。そしてこの子らもまた、時代時代の富士の恵みの中で生きています。

 古絵葉書をみることは、失われた景観を検証することだけではありません。我々も、百年前のこの子ら同様、富士の恵みや、富士をめぐる過去からの様々な文化的背景の中で生き続けていることを知ることであり、また、未来に向け我々の子孫もそうなっていくであろうことを知ることであって、その普遍性を柔らかくつないでくれる存在が、実景としての古写真中に見られる、今も昔も変わらぬ優美な東海の富士といえましょう。

          平成25年4月30日 イコモスによる登録勧告を受けて      著者記す