滝川が沼川に合流する地点の少し上流にあった橋。馬が荷車に米俵を積んで運んでゆく。
 吉原湊口は時代ごとに場所を変え、万治3年(1660)以前には富士塚の東、今井あたりに位置していたとする記録があり、仮にそうだとすれば、今井は吉原湊口を見下ろす要衝にあり、三方を沼や川,海に囲まれた軍事上の拠点にもなりえたと想定される。
 天文14年(1545年)8月16日、今川義元は、河東(静岡県東部)を占拠し「吉原の城」(今井の砂丘か?)にいた後北条勢を打ち負かすが、そのきっかけとなったのが、「今井狐橋の戦い」である。
 上の写真は「今井狐橋」と思われる写真。現在でも、今井の日本製紙のパイプライン下に橋脚がわずかに残る。