左手の橋のたもとに「みなとはし」とある。「湊橋」は明治9年に現在の御成橋の位置に掛けられた橋で、それまでは、旧沼津町と旧楊原村上香貫の間を、渡船がつないでいた。当時、河岸が港の役割を果たしており、この写真からその様子がうかがえる。橋のたもとでは、人々が集まるからなのだろう、近隣の農家からサトイモやらカブやらを持ってきて売っている。もともと楊原地区は気候が温暖なうえに土地が肥えており、野菜栽培が盛んな土地であった。柳の木は、今なお、点々と残っている。「御成橋」と名称が変わったのは、大正2年、鉄橋として架け替えられた際である※。

  ※平成19年10月13日版静岡新聞東部版には、「明治45年7月に鉄橋に改築した折、湊橋から御成橋に改称された」との新史料(昭和12年静岡県発行『御成橋改築工事概要』)発見の記事が掲載されている。