明治21年、静岡県東部の東海道本線建設の資材搬入のため、現在の沼津駅と狩野川の河口にあった昔の沼津港とを結ぶ貨物線が設置された。当時、多くの巨大な資材を運びこむ、陸上運送の設備を持っていなかったため、必ず港から船で運び込む、という方法を取っていたのである。そのための浚渫作業も必要だったのだろう。この貨物線は、終点の狩野川の河口あたりに生えていた「蛇松」にちなんで「蛇松線」と名づけられた。
 写真右下に「伝説に名高き蛇松」とあるが、明治34年欄契社刊『沼津の華』によれば、「土人(さとびと)の言(ことば)に樹膚を傷れば則ち流脂(りゅうし)血を成すと蛇松の称蓋し此に出るなるべし」とある。
 さて、その「蛇松」は、いったい、いつまで生きていたのだろうか。
 一般的には蛇松線建設の折、伐採されてしまったされてされているが、上掲書p.21には「十余年前迄は蛇松尚ほ其朽幹を存せしも今は全く腐朽して僅に其名を鉄道敷設の物揚場に止むるのみ」とする。どうやら蛇松線建設の時点で、すでに枯死していたようである。したがって、この写真中の蛇松は、物揚場にあった点を考えると、一段の茂みではなく、左手土手前の松の姿に往時の面影を偲ぶことができるという意味だろう。
 現在では、この写真の部分は、沼津港となってしまっており、かつての面影は全くない。
 なお、蛇松線は、その後、主に石油、木材、魚等を運ぶ貨物線として活躍したが、トラック輸送全盛時代を迎え、昭和49年ついに廃止。現在その跡地は、緑豊かなプロムナード“蛇松緑道”として新しく生まれかわり、市民の憩いの場所となっている。


 (追記)蛇松についての論考は、『沼津市歴史民俗館だより』 Vol.42 No.1 (通巻214号/ 2017.6.25)に詳しい。