明治末頃の富士市今泉の日吉浅間神社。かつて東泉院という密教寺院が併設されていた。
 中央やや右手は富士病院で、明治15年、板垣退助が岳南自由党に招かれ、自由民権の演説会を行った場所(当時は保全病院と言った)。翌年、岐阜事件が起こる。左端が宮司の六所家で、全国的にも貴重な聖教(しょうぎょう:経典の注釈や寺院での儀礼などの記録)が伝えられてきた。
 中世においては、このあたりに善得寺城が築かれていた。武田信玄,北条氏康,今川義元の甲相駿三国同盟の舞台となった城跡である。三将が直接会したのではなく、それぞれの使いが会し、甲駿同盟および甲相同盟の再確認、並びに相駿同盟の締結(氏康の娘の氏真への輿入れ)が行われたと考えられている。