吉原湊から出入りする富士講の人々は、鈴川海岸で水垢離してから、天の香久山(富士塚)に小石を一つずつ奉げ、富士登山の安全を祈願したという。現在の「富士山登山ルート3376」の原型がここにある。
さて、吉原湊口は時代ごとに場所を変え、万治3年(1660)以前には富士塚の東、今井あたりに位置していたとする記録があり、仮にそうだとすれば、今井は吉原湊口を見下ろす要衝にあり、三方を沼や川,海に囲まれた軍事上の拠点にもなりえたと想定される。